2001年 やっこ凧のおしゃべり
21世紀の幕開け! ロボット! 携帯電話! 夢の未来が現実に!....なんていう時代だけれど、今もっぱら注目したいのは民謡である。
最近和太鼓や三味線が注目されていて、若い人でも「かっこいい」なんていいながら習い始めているらしい。
すると次にブームが来るのは、民謡じゃないだろうかと睨んでいるのだが...どうだろう?
まア別にブームがどうこうはいいとして、民謡というのは何か年寄りが唄うもんだという印象かもしれないが、よくよく聞いてみると非常に力強かったり、恋の歌やちょっとエッチな色っぽい歌詞があったりして、そんなにジジババ臭いもんでもないのである。
それに実際歌おうとしても、実はかなりの腹筋がないと歌えないのが民謡である。
私は息子が赤ん坊の頃、背中におんぶしながら通信講座で民謡を一年ほど学んだ。
単にノドを鍛えるのに良さそうだと選んだのだが、やってみると予想以上に声が続かない。こぶしやふりという技も、そう簡単に出来るものではない。
近所迷惑かえり見ず、包丁片手に料理しながらも練習したものだ。
こう考えると、寄り合いなんかで自慢のノドを軽々と披露する老人たちの腹筋は、決してあなどれない!
そこらの若者以上だろう。(服を脱いだらムキムキだったりして!?)
通信講座にはテープでの添削もあり、先生から「現代風の歌い方でなかなか。」などというお手柔らかな批評をいただき(つまりこびしが上手く回っていないということだろう)民謡以外の歌もよく声が伸びる様になったり、それなりに収穫があった。
以来、民謡はいいなアとずっと好んでいるのだが、民謡はそもそも日本人の生活から沸いてきたような唄で、歌詞の中から昔の風景や暮らしの様子が、手に取るようにわかるのもおもしろい。
先日たまたまラジオで耳にした、昭和三十年代頃までの労働者たちが、掛声のように歌っていた民謡がまたとてもおもしろかった。
かつては様々な労働に合わせた独特な歌が日本国中で歌われていたらしいのだが、自然に風化してしまい、今となっては発掘が難しく、研究者が苦労しているというもったいない話しだ。
一般の人々が自分たちの仕事に合わせて歌を作り、皆で声を合わせて歌うことは、労働のつらさを少しでも軽くするための、明るい知恵だったと思う。
「民謡なんてダサイ」という現代だけれど、じゃあ今!これだけ多様な音楽が身近にありながら、自分の仕亊のリズムに合わせて歌を作り、口ずさめる人なんてどれだけ存在するだろうかと疑問に思う。
多分歌おうとしても、誰もが妙に構えてしまい、考え込んでしまうのではないかな?まア、オフィスワークでは難しいかもしんないけど・・・
民謡の中にはたくさんのユーモアと、ロマンやナイーブさが秘められている。
現代人が民謡の楽しさに気付くとき、日々のストレスから少しは解き放たれるのでは? とも思うんだけどなア。